To 自分 (東京にて)

地味なあがき?を積み合わせて どうにか東京に来た。

1ヶ月後には メンバー4人 全てが東京に降り立った。

1年目

とりあえず 誘われれば まず断る事なくイベントに出演した。ハコのブッキングも どこでもいつでも 大抵は引き受けた。もしくは お願いした。百聞は一見にしかず と考えたからだ。

当たり前とはいえ見事なくらいに赤字だった。 しかし、そんな事をいちいち言っていては音楽(好きな事)等やってられないし。
一体 どうすれば? そればかり考えてた。
2年目

色々な事を あえて無視して 走った ツケ だろうか?
メンバーの1人が脱退となり 3人になった。
正直言ってこれまでか・・?と思った。
それでも イチかバチか3人でとにかく やれる事をやってみよう とチャレンジした。

意外?にも シンプルで 力強い 良いバンドになった。
アルバム『03』が出来たのはその頃
3年目・・・みんな そのバンドで 自分の役割 とか 使命 を自覚し始めた。

僕自身 今までで 最も バンドのグルーヴやら マジック? を実感した時期だった。
ライブは いつも120% を信じて 絞り出した。
しばしばこけたが・・
4年目・・
良いバンドは更なる良いバンドになる必要があった。

僕は 今までのバンドのスタイルをもっと深いモノにしたかった。ターゲットがしぼられても・・
何曲かに至って それは とりあえずの一歩を踏めた と思う。

馬場兄(タイガーサウンド)と組んで アルバム『04』をリリースする。本当に色々あったが、最高に楽しい製作期間だった。

東京では初めてとなるワンマンライブを果たした。

しかしこれからが 本当の勝負であり 始まりなんだと理解しながらも、次の一歩がどうしても出せなかった。今までのようにこれからを提案しきれなかった。

バンドは動けなくなった。
目的だの 意味だの 夢だの 希望だのをメンバー間共有出来ないバンドは 見事な程に動けなくなるモノなのだ。
そもそも バンドマンは何(お金も)はなくともソレらのみ で皮一枚繋がっている と言っても決して 言い過ぎでない。


バンドを失うのは 本当に 不安 で こわかった。

今まで 10年くらいの間 寝ても覚めても 音楽 の事ばかり 考えてきたから・・
でも 進化なり退化なり 少しずつでも変化できない バンド はいずれ遅かれ早かれ 必ず 止まる訳で、、
そんなバンドをダラダラ続けるのは、自分の為にもファンの為にも良い事はないのだ。 誰も幸せに ならない。。

居心地が良くても 同じ場所に同じようには ずっと はいられない。

自分が変わらなくても 周りが必ず変わるし、時代が変わる。居心地の良い筈のソコは 知らぬ間に別な場所のようになっているかもしれない。結果何かが変わっている。。確かにそういうスタイルもあるとは思うが・・

人生を 一歩進めるしかない。

バンドを活動休止として これからを考える事とした。
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# by tvpvo | 2010-05-28 18:05  

To みなさん(久し振りに歌います)

でました!

恒例の前日告知!

我々の良しも悪しも兄貴分 ツッパリ馬場社長らのバンドが企画するイベント。

5月5日(水) 八王子Match Vox
THE SORRY ON PARADE企画 『5月5日に5曲勝負!!』
Open 16:00 Start 16:30
\2000+ドリンク

に 開場〜開演の間で 何曲か歌う事になりました(すなわち前座)。。

活動休止後は どんな場所であれ形態であれ 出演を断ってきましたが、、 この人に頼まれた事なら・・と思い 歌う事に、、

去年もバンドで出演させてもらったんですが、 全てのバンドが5曲ずつ ガンガン 入れ替わってゆく 怒涛のイベントであります。。

体力が必要です(笑)

忍耐?も(笑)


激しいバンドが多い中 異質な空気を出せれば良いのかもなぁ と思います。。
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# by tvpvo | 2010-05-04 03:12  

To自分 (あがきの決心)

学生時代も 何かと 金 が無かった(しっかり遊んでいたから)と思っていたが 大学を卒業してからは 当たり前に親からの仕送りがストップした。本格的に金が無い。

俺は音楽をやるのだ!と言ったはいいけど しっかり腹は空くし、道端では寝たくない。 食費も家賃もかかるのだ。

人間は生きてる だけ で 金 がかかるのね。(阿呆みたく)

とにかく 音楽では収入が無いので 他に仕事をしなければ・・ でも音楽が最優先であり 融通が利かなければ・・そうして バイト&バンド生活が始まった訳だ。

拠点はそのまま鹿児島にした。

どこだって やるべき事 は一緒だから(と思ってたし)。
不器用&下手くそ なりに頑張った・・けど バンドは解散になった。

今度は1人になって 古島省吾(つまりは本名)として 弾き語り で活動を始めた。なんだか そんな流れになった。
案外 性 に合っているかもしれなかった。 が ちょっと つまらなかった。
1年程 したら再びバンドがしたくなった。
The Vector plussを結成した。

鹿児島で出来るだけの事をやった。つもりになった。

すると自分の想像外の規模 東京 で音楽をしてみたくなった。

一大決心 バンドメンバーみんなで 上京した。
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# by tvpvo | 2010-05-01 03:32  

To自分 (阿呆みたいにバンドに興味を持つ)

大学には ロック部と器楽部とフォークソング同好会とがあった。
僕はどれかに入りたかった(サッカー以外の部活に入ってみたかった)(ボランティアサークル等には沢山の女子がいて大いに楽しそうに見えたので少し迷ったが)ので 新入生勧誘のライブを観る事にした。
ロック部 は長髪のいかにも なお兄さんが ニルバーナ を演奏していた。
器楽部は イエモンを演奏していた。
フォークソング同好会は フォークソングとはよほど言い難いハードなサウンドでオリジナルの曲をやっていた。

つまりはみんな 大きくはロック をやっていたのだ。 うちの大学にジャンル のような 棲み分けは存在しないようだ・・ 別にそれで構わないが、、

僕はガットギター以外の楽器をほとんど持った事がなかったし バンド経験は殆ど皆無。勿論自信など全く無かった。少しだけ興味があった程度だ。だから 一番緩そうなサークルを選んだ。
それは器楽部。

僕と似かよった考えの緩い? 男女 が集まっていた。。みんなでワィワィバンドできたら楽しいキャンパスライフだろうな と思ってた。。

一年も過ぎると 僕は 同じ学年の友人と 3ピースのバンドを組んでオリジナル曲を作って活動していた。hatch(ハッチ)というバンド名だ。。

何やら 本気 になってしまったようだった。
すると学園祭の前しか 活動しないような 緩サークルを変えたくなった。
変えるには まず 自分 が変わらなくてはならない等といきまいて 学外のイベントに積極的に出るようになった。

いよいよ 楽しくなってきた。

音楽を作って それを歌い 日本中を回る 仕事

ミュージシャン

なんて 素晴らしい職業なんだ と思った。

緩サークルは いつまでも 緩サークルだったが

それで全然良くなった。そんな事関係無いっちゃ関係ない。。
大学の卒業の匂いがする頃になると音楽を続けるか 普通に就職するか 大いに考えた。

気持ちは決まっていた。

でも 色んな事を踏まえた上で 一応迷った。

結局 僕はアルバイトをしながら バンド活動をする事にした。
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# by tvpvo | 2010-04-22 03:29  

To自分(バンドをするまで)

僕は小学校の2年生から 高校3年まで サッカーをしていた。
阿呆みたいにしていた。

小学生の頃は ソレ が好き過ぎて 授業中ずっと 机上に ひたすら サッカーボールの絵を書いていた。
消しては
また 書いた。

ボールを中心に そこから見えるあらゆる角度で ゴールポストも書いた。

サッカー漫画は
・キャプテン翼
・頑張れキッカーズ
・かっとびいっと(どんな字だっけ?)
・イレブン
等を好んで読んだ。

でも密かに 野球も好きだった。
小学生の頃 サッカーが休みの時は 野球をした。
小学3年まで 町営団地に住んでいたが とにかく 団地の壁に ボールをぶつけて遊んだ。
斜め下(3階)に住んでいた ヤクザ風?のおじさんに 危なくボールが当たりそうになり この世の者とは思えぬ程の目つきで睨まれた。
脱線した。。

野球漫画は
第3野球部が一番好きだった。


とにかく 暇さえあれば どちらかをしていた。

高校に入ると 引き続きサッカーをしていたけど 正直 飽きてきた。
けど 続けた。

替わりに?音楽が好きになってきたのかも・・

家の空っぽの仏壇から 何故か ガットギターを見つけた。

しめしめ と だが ヒソヒソ と弾いた。
体育野郎が文化かぶれ野郎になった なんて 家族から思われたくなかった。
当時は音楽なんかしている男はみんな オカマ野郎 だと思っていた。(本当)

サッカーの試合前はほったらかしてテンションが上がらないので ウォークマンで ボンジョヴィ を爆音で聴いた。

オアシスも聴いた。
大学に入って すっかり サッカーは辞めた。

きっぱり辞めた。
それから不思議なくらいに1ミクロン程も サッカーに興味がなくなった。

バンドサークルに入った。

それはそれは 地味なサークルだったなぁ。。
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# by tvpvo | 2010-04-19 04:18